宇品東小学校区内のところどころで露地植えされた時計草(パッションフラワー)の花が見られるようになりました。この時計草は南米(ブラジル、ペルー等)原産つる草で、写真のような奇抜な形状の花、すなわち雌しべが丸時計の針のようになった花を咲かせます。
南米の熱帯地域を中心に400種以上が分布、自生していると云われていますが、日本には、江戸時代享保年間(1716~1735)に花の美しいカエルレア種時計草が渡来。明治時代の中ごろになって果物時計草(くだものとけいそう)(パッションフルーツ)が渡来したとされています。
カエルレア種時計草の花茎は約10センチ。花弁は淡い紅色や青色、糸状の副花冠は中央だけが白色になります。初夏から秋にかけて開花し、秋になると黄色の果実を結びます。耐寒性もあり、市内南区では露地で越冬します。
これらの時計草は、16世紀の大航海時代、南米に渡ったスペインのキリスト教宣教師によって見出され、花の形が十字架のキリストを連想させることから「受難の花」や「受難の果実」の名前がつけられ、英名はパッションフラワーやパッションフルーツ。ちなみに、英語の「パッション」には、「情熱」や「受難」の意味がありますが、この植物の英名の「パッション」は「受難」を意味します。
しかし、文化の違う日本では、当時珍しかった丸時計が連想されて、「時計草」の名前が付けられました。当時の公家の近衛家熙(このえいえひろ)(1667~1736)の写実画集「花木真写」には、渡来したばかりのカエルレア種時計草が描かれています。
果物時計草は、開花後に長さ5~8センチの卵形の、カエルレア種より大きく美味しい果実を結びます。しかし、耐寒性に乏しく、霜の降りる地方では、露地での越冬が困難で、本格的に栽培されるようになったのは、第2次世界大戦後になります。主に愛媛県、鹿児島県、種子島、八丈島など温暖な地方で栽培が始まり、今では園芸用としても広まり、ホームセンターなどで苗木が販売されています。それが庭に移植され、ネットに誘引され、緑のカーテンにまでなっています。
カルレア種時計草も果物時計草も、種蒔きや挿し木で容易に増やすことができます。種蒔きの適期は4月~5月で、とっくに過ぎてしまいましたが、挿し木の適期は初夏~夏で、今からでも間に合います。今年伸びた蔓の中で太く元気なものを選んで、20~30センチの長さに切り、下の方の葉を落として、鹿沼土の中にしっかりと挿します。おおよそ1ヶ月で根が出てきます。
カルレア種が露地植えで十分越冬できるのに対して、果物時計草は、露地では越冬できません。果物時計草は、9月、10月になっても開花し結実しますが、11月に霜が降りると枯れてしまいます。そこで、10月に入ったら、高さおおよそ1メートル以下に刈り込み、大きめの鉢に移し水はけのよい土を補充し、5℃以上の室内の日当たりの良い場所に取込みます。遅くなると、鉢上げ後の鉢の中での根張りが悪くなり、翌年の成長に支障を来します。鉢上げ後は、室内で光沢のある緑の葉を観賞することができます。そして翌年5月、遅霜の恐れのなくなった頃、鉢から露地へ移植し、再び、緑のカーテンをしつらえます。
果物時計草による緑のカーテンの特長は、次のようになります。①美しく奇抜な形の花を咲かせる。②光沢のある緑の葉が美しく枯葉が発生しない。③赤紫色の美しい果実が実る。④果実は甘酸っぱく特有の風味がある。果物時計草の栽培に挑戦してみるのも一興かも知れません。
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